12年ぶりに、福島第一原発を自分の目で見てきました

2011年3月11日。東北地方を大地震と大津波が襲い、福島ではさらに原発事故が起きました。

先日、その福島第一原子力発電所を見学する機会をいただきました。

見学は、東京電力の方からの謝罪の言葉で始まりました。事故を防ぐことができなかったこと、そして多くの方の暮らしや故郷を奪う大惨事を起こしてしまったこと。その真摯な言葉を聞きながら、僕はいろいろなことを考えました。

実は僕は、2014年にも福島を訪れています。あれから12年。今回は、あの頃は自由に入れなかった場所にも足を運びました。そこで感じたことを、書いてみます。

「何もない場所」ではなく、「何もなくなった場所」だった

2014年の僕は、まだ入ることのできない場所がたくさんある福島を見ました。富岡町では、津波と原発事故の爪痕が残る街を歩きました。当時のブログには、除染作業が続く町のことや、家々が流されたことで、それまで見えなかった海が駅から見えるようになっていたことを書いています。そして、こう結んでいました。「この現実をたくさんの人に知ってもらいたいし、被災地に心を寄せて欲しいなと思います。」

今回は、その富岡町や双葉町にも行きました。泊まったホテルの周りを見たとき、僕は最初「何もない場所やな」と思いました。

でも、すぐに違うと気づきました。何もないんじゃない。何もなくなったんや。その瞬間、何とも言えない気持ちになりました。

それでも、その場所では今もたくさんの人が働いています。復興のために。廃炉のために。故郷を取り戻すために。その姿を見ていると、「頑張ってください」「どうかご安全に」と願うことしかできませんでした。

原子力災害伝承館にも行きました。地震、津波、原発事故、避難、そして現在まで。映像や写真、残された記録を見ながら、3月11日に起きたことの大きさをあらためて感じました。

廃炉への道は、まだまだ先が遠いです。簡単に「あと何年」と言えるものではありません。その途方もなく長い道のりに向き合い、日々作業を続けている皆さんの覚悟を思うと、言葉がありませんでした。見学の最初に聞いた謝罪の言葉と、目の前で続く作業の様子。その両方が、今も頭から離れません。

そして、僕は自分にも問いかけました。原発事故の責任を曖昧にするつもりはありません。でも、この事故から考えるべきことは、本当に東京電力だけに向けられるものなのだろうか。僕たちは電気を使い、便利な生活をしてきました。その社会の中で生きてきた自分も、決して無関係ではないと思ったのです。

知ろうとすること。自分には関係ないと思わないこと

ニュースで見るだけでも、記事を読むだけでもなく、実際にその場所へ行って自分の目で見る。そこで働く人を見て、今の街を見て、自分で考える。2014年にもそう思いましたが、12年ぶりに福島第一原発まで足を運び、その思いはさらに強くなりました。

福島の今は、3月11日で止まっているわけではありません。復興も、廃炉も、そこで働く人たちの毎日も、今も続いています。簡単に答えが出る問題ではありません。ただ、知らないままでは、考えることもできません。まずは知ること。そして、自分の目で確かめること。それが第一歩だと、僕は思っています。

忘れないこと。知ろうとすること。そして、自分には関係ないと思わないこと。

今回見たもの、感じたことを、僕自身もしっかり心に刻んでおきたいと思います。

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