今年の江口組の社員旅行は東京へ。
普段はなかなか足を運べない関東方面ということもあり、社員のみんなも思う存分に楽しんでいる様子でした。観光にグルメにと、日常を離れてリフレッシュする時間。社員の笑顔が何より嬉しかったです。
そんな中、私が「どうしても行きたかった場所」がありました。それが靖国神社です。
戦後80年という節目の年に、社員たちとともに靖国神社を参拝できたことには、言葉にしがたい深い想いがあります。けれど同時に、若い社員たちの中には「ここがどういう場所かよく知らない」という人もいたかもしれません。
それを考えると、参拝の前に少しでもこの神社の意味を伝えるべきだったかな、という反省の気持ちもあります。
でも、何も知らなくてもいいんじゃないかなとも思います。
まずは、静かな空気の中で手を合わせる。その体験が、いつか何かのきっかけで心の中に残ってくれれば、それで十分だと私は思います。
私自身も20代の頃まではそうでしたから、ここがどのような神社なのかを分かっていませんでした。
そんな私が、靖国神社を訪れるようになったのは、祖母からある話を聞いたことがきっかけでした。
祖母の兄、つまり、私の大おじが、戦争に出征し、戦地で命を落としたというのです。
その話を聞いたときから、東京出張のたび、時間があれば靖国神社に足を運ぶようになりました。
今回の社員旅行では久しぶりの参拝となりましたが、やはりこの場所に立つと、心がスッと整う感覚になります。
靖国神社に祀られているのは、日本のために命をかけた方々。
私たちがこうして何気ない日常を送れていることは、その方々の犠牲と想いの上にあるのです。そのことに、あらためて感謝の気持ちを抱かずにはいられません。
もちろん、戦争は決して正当化されるべきものではありません。
でも、なぜあの時代の日本が戦争という道を選ばざるを得なかったのか、どんな背景があったのか、そしてその時代を生きた人たちがどんな「心」を持っていたのか。
私たちはもっと知る必要があるし、それを次の世代に伝えていかなければならないと思うのです。
また私の祖父は当時、病気を患っていたため戦争には行かなくてよかったそうです。
私は「おじいちゃん、行かなくてよかったね」と言いました。
でも、祖父はこう返してきたのです。「行けなかったことが悔しかった」と言う祖父を見た時に、胸がギュッと締めつけられるような思いでした。
自分のためではない。誰かのために行動したいという強い想い。
私はそれを「他喜力」だと受け止めました。
他喜力。それは、「自分以外の人を喜ばせる力」です。
誰かの幸せのために、自分が何かをすることを喜びと感じる心とも言えます。
今の時代、「自分さえよければいい」「人のことは関係ない」そんな風潮も感じられる中で、この他喜力の精神こそが、私たち日本人が忘れかけている、でも本来持っていた美しい心なのではないかと思います。
私は、戦前の日本人の多くがこの他喜力を持っていたと感じています。誰かのために生きるという心。そしてそれが、戦後の日本の平和や復興を支えたのだと思うのです。
今、江口組という会社の中で、私たちが育てていきたいのもこの他喜力です。仲間のために、お客様のために、地域の人たちのために、自分ができることを精一杯やる。そういう心が、会社を強くし、チームを一つにし、社会を温かくするのだと思います。
戦後80年。あの時代に生きた人たちの想いに触れ、今ある日常に感謝し、未来に向けて「心」をつなげていく。
靖国神社で手を合わせながら、そんなことを強く思いました。
今回の社員旅行は、笑顔とともに、感謝と決意を胸に刻む旅となりました。
この経験を、これからの仕事や人生にしっかりと活かしていきたいと思います。