ca4001

浦直之
株式会社江口組(工事部 主任)
白山市出身。
小学校から高校まで剣道をしていました。やりだすと長く続くのは自分の性格かなって思います。
中学校の時、全国大会に行ったこ
とがある顧問の先生と巡り合って剣道への取り組み方が変わりました。厳しいしキツい。やった分は結果が出ます。高校の時にインターハイに団体で行くことが目標でしたが、結果的に出場することは叶いませんでした。それは今でも心
残りです。大学は金沢工業大学でした。ここに進学した理由は、父のように生きられたら。と思ったからです。
父は設計の仕事をしており、小さい頃は道路やダムを見に、色んなところに連れて行ってくれました。「こういうのをお父さんたちが皆でつくりあげたんだよ。」
と話していたことは、印象に残っています。
江口組に入社する時にも父に聞きました。すると「江口組なら大丈夫や。」と言ってくれました。設計にも興味があったのですが父が現場監督を薦めてくれたんです。

ca4002
入社後いきなり訪れた挫折。
自分のミスによる工程の遅れがあり、下請けさんのお金に関わってきてしまう間違いをしてしまいました。
「真面目に取り組んどれば、そんな間違いはせんやろ」と言われてしまい
今までそんなことを言われたことはなかったので、かなりショックでした。

入社してからの一番の失敗。
リース会社に荷締めをしてもらい資材を運搬していた時、荷締めが緩み資材が落下しました。
資材の落下により、一般車両を巻き込んだ交通事故を起こしてしまったんです。
でも、普段怖い先輩が「起きたことはしょうがない。落ち込んどるやろうし、次の現場は頑張れや。」と言ってくださり、会社のみんなも励ましてくれて、泣きそうになりました。
今後の事故防止対策として、自分自身が荷締めのプロとなり、資材が落下しない状態をつくり資材運搬を行っています。

ca4003
尊敬していた父との最期の思い出。
父は僕が最も尊敬する人でした。病気で亡くなってしまったのですが
膵臓癌になり、闘病生活を送っていました。
かなり痛かったらしいんですが、父は俺が病室にいる時は決して弱音を言いませんでした。
いつも病室を出るとき「仕事頑張れや」と言って送り出してくれました。
母も、仕事をしながら父の看病をやりきっていました。
2人のそんな姿勢が印象に残っています。

入社2年目か3年目の時、父が設計した現場に携わることになりました。
本田部長が現場監督として表に立っており、電話をしている相手が僕の父でした。
父の病気が発覚した時で、完成する前に父は亡くなってしまったんですが
4ヶ月ぐらいの工期の現場で、天候にも恵まれて完成することができました。
父が少し見守ってくれてたんかなと思ったりもしました。

人を動かすことの難しさと会長からの一言。
入社4年目の時でした。
自分が思っていることと下請けさんの思いが違う時、「自分はこうしたいのに。なんでそうならんの?」と思い
話をしてもしょうがないと、かなり顔に出てしまっていた時がありました。
その時に会長が「人は変えられないけど、自分は変えられるよ。」と言ってくださり、すーっと楽になりました。

入社してからこれまでの中で、最も誇りとなっている仕事。
平成27年の、片山津養浜工事です。
土木構造物としてカタチに残らない仕事でありましたが、現場代理人として「工事の目的や施工方法等」を真摯に考え体現しました。
今までは親方ありきでしたが、自分に任せてくださり、ここで工事を深く考えるようになりました。
海岸を守るという「地域の笑顔」の一端を担える工事を行ったことを誇りに感じました。

ca4004
ca4005